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フィリピンにおけるコウモリ疫学調査

  2022年6月現在、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の汎流行(パンデミック)は依然として完全な終息を迎えていません。遺伝子の全長配列を比較した場合に、COVID-19の原因ウイルス(SARS-CoV-2)に最も近縁なウイルスの遺伝子配列は、コウモリから検出されています。センザンコウの関与も疑われているものの、コウモリはSARS-CoV-2の自然宿主の有力な候補であると考えられています。2002年に中国で発生したSARS (重症急性呼吸器症候群)の原因ウイルス、SARS coronavirus (SARS-CoV)の自然宿主はコウモリでありました。SARS-CoVの起源の探索を発端にして、世界中のコウモリでコロナウイルス(CoV)の検出が行われ、筆者自身も過去(SARSの流行後)にフィリピンにおいてコウモリの疫学調査を開始して、複数のコウモリコロナウイルス(bat CoVs) RNAの検出に成功しています(東京大学農学部獣医学科の吉川泰弘先生<現・岡山理科大学獣医学部長>とフィリピン大学の共同研究として)(文献1, 2)。こうした調査より、哺乳類に感染するCoVのほぼ全てに近縁のbat CoVが存在し、世界中のどの地域に分布するコウモリからもbat CoVの遺伝子RNAが検出されることが現在では知られています。こうした報告は現在までに多数なされて、CoVの進化系統樹はbat CoVsで占められるようになりました。現在では、「コウモリが保有していたCoVが、種の壁を越えて他種の動物に侵入した」という説が支持されています(3)。実は、CoVにとどまらず近年話題となった高病原性の新興感染症ウイルス(例えば、ヘンドラウイルス、ニパウイルス、エボラウイルスなど)の多くがコウモリ由来であると考えられています。
  こうした病原体宿主としてのコウモリの生物学的特性に強い興味を持った吉川先生が、東京大学在籍時代(2006年頃)に開始した、フィリピンにおけるコウモリの疫学調査は現在まで継続しています。当センターHP(国際交流/海外派遣事業報告)で既述のように、フィリピン大学獣医学部(CVM)およびフィリピン大学ロスバニョス校自然史博物館(MNH)との共同研究は、日本側チームの様々なメンバーが入れ替わりで参加しながら、現在まで継続されています(岡山理科大獣医学部現教員の中では、宇根有美教授・藤井ひかる助教などが調査に参加しています)。COVID-19流行前に行った直近2回の疫学調査については、国際獣医教育研究センターのサポートも一部受けて実施させていただきました。そこでこの直近に行った調査活動や、現在進展中の研究活動、研究活動の背景についてここで説明し報告したいと思います。

1) Watanabe et al., Bat coronaviruses and experimental infection of bats, the Philippines. Emerg Infect Dis. 2010 Aug;16(8):1217-23.
2) Tsuda et al., Genomic and serological detection of bat coronavirus from bats in the Philippines. Arch Virol. 2012 Dec;157(12):2349-55.
3) Wong et al., Global Epidemiology of Bat Coronaviruses. Viruses. 2019 Feb 20;11(2).

病原体宿主としてのコウモリの特殊性

写真1. フィリピンの食果コウモリ

  コウモリ(翼手目)というと吸血コウモリが連想されますが、チスイコウモリ(傷口の血液をなめる。吸血というイメージと実際はかけ離れる)は中南米にのみ分布します。果物、虫、魚、花蜜など様々な食性を示すコウモリ種が同定されていますが、ざっくりと分類してしまうと、体の大きいオオコウモリのグループは食果コウモリ(フルーツバット)であり(写真1)、熱帯・亜熱帯に分布します。一方でコガタコウモリは食虫コウモリが多く、世界中に分布します。コガタコウモリは超音波を発して反響定位を行うため、視覚は発達しておらず目は細い顔をしています。また冬眠(休眠)を行う種もあり、身近な屋根裏に棲む“イエコウモリ”に相当するアブラコウモリを始めとして、日本の固有種はほとんどがコガタコウモリとなります。一方、オオコウモリは反響定位を行わず(ルーセットオオコウモリを除く)、立体視で果物を探すため目は大きく(可愛い?目)、果物を与えれば飼育も可能です(食虫コウモリの飼育は難しい)。

写真2.洞窟から飛び立つフィリピンのコウモリ

  コウモリの多くは洞窟に生息して、夜行性に行動します。そのため夕方、コウモリが洞窟の入り口から“天の川”の様に一斉にたなびいて飛び出す様は壮大で、東南アジアでは観光スポットにもなっていることもあります(写真2)。多数のコウモリが生息する洞窟の底面には糞の層が積もり“グアノ”と呼ばれる良質な肥料となり活用されます。コウモリが生息する洞窟に入ると、コウモリの尿によるアンモニア臭を強く感じることが多くあります。例えば、日本のユビナガコウモリは大規模なコロニーをつくり繁殖や冬眠を行い、1万頭以上の集団が生息する場合もあると推定されています(4)。また生態学の記録から時に長距離の移動飛行も行うことがしられています(1000kmの飛行記録もある)(5)。空への適応に成功したコウモリはこのように広い生活空間を手にした一方で、繁殖を行うためには同種のコウモリと遭遇しなければならないという動物の宿命からは逃れることができません。空を飛び、視力ではなく超音波による反響定位という鋭敏なセンサーを駆使するコウモリが、「暗い」洞窟に「密集」して生活するというのは理にかなったことに思えます。このように「空」という外敵から自由な活動空間を手にした結果、世界中で「繁栄」し、洞窟という著しい“3密”空間に集まり生活するコウモリは、ヒト同様にウイルスを運ぶ宿主として高い潜在性を持つのでしょう。
  なお、ここまで“コウモリ”と、「乱暴」にまとめて話を進めていますが、翼手目は約1100種から構成されており、哺乳類の中ではげっ歯類に続いて2番目に大きなグループであることが知られています(6)。あらゆる生物種は、それぞれ固有のウイルスや細菌等の微生物と共生しているため、たまたま種の壁を飛び越えたウイルスの自然宿主が、巨大なグループの翼手目に属していたとしても驚きではありません。従って、まずはコウモリの保有する病原体の全貌を明らかにする必要があります。こうした病原体叢を解明することが本研究の大きな目的となります。
  一方で、近年、コウモリの全ゲノム解析での知見を基に、コウモリが特殊な抗ウイルス応答を行っている可能性も明らかになってきています。例えば、クロオオコウモリ(Pteropus alecto)やホオヒゲコウモリ(Myotis sp.)は、DNA損傷の検出や修復に関与する遺伝子群においてpositive selectionが認められており(ATM, DNA-PKc, RAD50, KU80, MDM2, cREL, AIM2, IFI16など)(7)、持続飛行に起因した活性酸素種の蓄積によるDNA損傷を回避する可能性が考えられています(AIM2, IFI16を含むPHYIN gene familyの遺伝子座を欠失しているが、PHYIN genesはインフラマソーム(ウイルスの局所の免疫で重要となる)の形成に関与するため興味深い)。さらに自然免疫系については、クロオオコウモリの細胞や組織では、非感染状態でもI型IFN経路が常時ONになっているという報告がなされています(7)。またクロオオコウモリやホオヒゲコウモリの免疫グロブリンは、より多様な抗体レパートリーを持つ可能性が示唆されています(8)。一方で同コウモリのsomatic hypermutationの頻度は低いことから、ヒトのようにIgMで最初に対応して、親和性成熟を経てIgG/IgAで対応するという手順とは全く異なる獲得免疫の戦略を持つ可能性が示唆されています。しかしながら、このような特殊な抗ウイルス応答はごく一部のコウモリ種で報告されているのみであり、1100種全てのコウモリ種に保存された性質であるかは今のところ不明です。筆者らの研究グループでも過去にはコウモリの免疫応答に関心を持って研究していたことから、今後、コウモリの免疫系に関する研究についても研究を進めていきたいと考えています。

4) 前田喜四雄, 日本列島におけるユビナガコウモリの個体数推定. 奈良教育大学付属自然環境教育センター紀要(10), 31-37, 2009-03
5) Calisher et al., Bats: important reservoir hosts of emerging viruses. Clin Microbiol Rev. 2006 Jul;19(3):531-45.
6) Wilson DE, Reeder DM. 2005. Mammal species of the world: a taxonomic and geographic reference, 3rd ed Baltimore, MD: Johns Hopkins University Press
7) Schountz et al., Immunological Control of Viral Infections in Bats and the Emergence of Viruses Highly Pathogenic to Humans. Front Immunol. 2017-8:1098.
8) Bratsch et al., The little brown bat, M. lucifugus, displays a highly diverse V H, D H and J H repertoire but little evidence of somatic hypermutation. Dev Comp Immunol. 2011 Apr;35(4):421-30.

病原体特異的なコウモリ疫学調査
  吉川先生が開始したフィリピン大学獣医学部との共同研究の中で、これまでにフィリピンのコウモリからヘルペスウイルス、コロナウイルス、レオウイルスなどの新しいウイルスや、ウイルス遺伝子の検出に成功してきました(1,2,9, 10)。一方でコウモリの各種ウイルスへの感染歴を把握する目的で抗体調査を行い、レストンウイルスやフラビウイルスに対する抗体をコウモリが保有することを過去に報告しています(11, 12)。こうした標的ウイルス種ごとに疫学的な知見を地道に蓄積していくことは、コウモリの病原体叢を解明するために重要な基礎となると考えています。
  現在、筆者が特に興味を持っているのはニパウイルス(NiV)というコウモリ由来の新興感染症ウイルスです。1998-1999年にマレーシア・シンガポールで出現したNiV感染症は、ブタが増幅宿主となるため当初は養豚関係者に患者が発生しました(脳炎や呼吸器症状が報告されています)。最終的に豚の大規模な殺処分を行うことで流行が終息していますが、その後の2001年以降にはバングラデシュ・インドにおいて小規模な流行が発生して、現在まで流行が散発的に継続しています。この流行はブタを介さずにコウモリからヒトに直接的にウイルスが伝播したと考えられています。コウモリの抗体保有調査から、NiVはアジア地域に広く存在することが現在では知られています。2014年にはフィリピンのミンダナオ島でも新たにニパウイルスと考えられるウイルスの小規模な流行が発生しており、フィリピンでの流行ではウマと、ウマの飼育に関連するヒトで感染が報告されています(13)。フィリピンで発生したウイルス株は、疫学的に異なる性質を持つ可能性も考えられますが、これまでのところ約40bp程度の極めて短い断片配列のみしか検出されていないため、詳細なウイルスの性状については明らかになっていません。筆者を含む研究チームでは、これまでは主にフィリピン本島(ルソン島)でコウモリの捕獲調査を行ってきました(写真3)。これまで採取した、ルソン島のコウモリの血清からはNiV抗体は検出されていないため、抗体を保有するコウモリの分布域はミンダナオ島の周辺に限定されることが予想されます。ミンダナオ島以外の島々にもNiVが分布するのかどうかを抗体調査を介して今後調べていきたいと考えています。NiVは病原性の高いウイルスであることから、研究は研究チームの中だけでは完結して実施することができないため、国立感染症研究所や豪国連邦科学産業研究機構、フィリピン熱帯医学研究所など複数の研究機関と協力・連携して研究を進めています。

写真3.コウモリの捕獲調査の様子。コウモリの移動経路に霞網(左)やハープトラップ(右)を仕掛けているMNHのスタッフら。

9) Watanabe et al., Novel betaherpesvirus in bats. Emerg Infect Dis. 2010 Jun;16(6):986-8.
10) Taniguchi et al., First isolation and characterization of pteropine orthoreoviruses in fruit bats in the Philippines. Arch Virol. 2017 Jun;162(6):1529-1539.
11) Taniguchi et al., Reston Ebolavirus antibodies in bats, the Philippines. Emerg Infect Dis. 2011 Aug;17(8):1559-60.
12) Watanabe et al., Epizootology and experimental infection of Yokose virus in bats. Comp Immunol Microbiol Infect Dis. 2010 Jan;33(1):25-36.
13) Ching et al., Outbreak of henipavirus infection, Philippines, 2014. Emerg Infect Dis. 2015 Feb;21(2):328-31.

非侵襲的な手法を用いた、コウモリにおける網羅的なウイルス調査
  既述のように標的ウイルス種を限定した調査の蓄積が重要である一方で、1100種も存在するコウモリの病原体叢を解明するという大きな目標と、我々が現状把握している病原体叢(知識)との間には大きなギャップが存在することも確かです。コウモリの調査を開始した、2006年頃には少なかった研究グループも現在では急速に増加して、日本でも実に多くのグループがコウモリの疫学調査を実施するようになっています。COVID-19の流行により、今後は益々研究が加速していくと考えられます。また近年の次世代シークエンス技術の発展は、検体から網羅的にウイルスゲノムを検出することを可能にしています。こうした技術の発展や、この分野の研究人口の拡大は、研究を強く推進する要因となっています。

写真4.文献的に報告されている非侵襲的な尿検体採取法の例 (Cited from “Viruses. 2021 Aug 20;13(8)”)

  しかし一方で、コウモリは「保護されている野生動物である」という側面を持つことから、多数を捕獲して侵襲的に(コウモリを殺して)検体を採取するというのは必ずしも容易ではありません。また生態系の維持の観点からも、不要な捕獲調査は厳に回避しなければなりません。こうした理由から、筆者らは現在、非侵襲的な調査法による網羅的ウイルス検出を計画しています(岡山理科大の鍬田龍星准教授、中本敦講師らとの共同研究、OUSプロジェクト研究推進事業)。洞窟などのコウモリのコロニーの下で糞尿検体を採取したり(写真4)、環境中からウイルスを検出する手法を確立して、網羅解析を行いたいと考えています。COVID-19の流行以後、海外調査を行うには困難な状況が続いています。そこで現在は、国内において非侵襲的な検体採取法の検討を試みています。野生動物の生態調査は、世界中の生態学者が膨大な件数を既に進めている一方で、生態学者と感染症研究者の共同研究は、あまり進展していません。その理由は感染症研究者が歴史的に侵襲的な調査法を好んで採用してきたため、非侵襲的な調査を好む生態学者と感染症学者が十分に協力できていないことがあります。非侵襲的な検体採取と次世代シークエンスによる網羅ゲノム検出を組み合わせることで、コウモリの病原体叢を解明するという「大きな目的」が、小さな目標になることを期待して現在研究活動を進めています。

  最後に、あらゆる生物種は、長い歴史の中でそれぞれ固有のウイルスや細菌等の微生物と共生関係を構築しています。近年話題となったコウモリ由来の高病原性の新興感染症ウイルスは、コウモリという巨大なグループが持つ膨大なウイルスの氷山の一角にすぎません。コウモリを単なる「悪者」とみなすことは「無知」であり、コウモリとウイルスの共生関係を解き明かすことは、微生物をより理解し、延いてはヒトや動物の感染症の制御につながる知恵を与えてくれる活動であると考えます。

獣医学部 獣医学科
微生物講座 准教授
渡辺俊平

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